アカシックsickしくしく

ぜんぶここにある

ハナダの自転車は買えない

 

アカシックレコード屋さんに行ってきた。

そこには世界の起源から今に至るまでの出来事が全て記されているらしい。

 

平日昼下がりの住宅街は、読んで字の如く閑かで静かな閑静さだった。 数年前までこの地区に広がっていた広大な水田の輝きは、宅地開発により真新しいアスファルトの黒光に塗り替えられたらしい。遠くに聞こえる小学校のチャイムの音だけが、現実とこちらとを繋ぐ音の灯台のような、そんな気がしたりしなかったり。

ありきたりなセンチメンタルを感じながら、世界の終わりのように静まり返った住宅街を進んで行くと、奥まった路地の先にその店はあった。

『ミラクル・サイクル』

宅地開発前からこの場所に存在していたことを感じさせる、色褪せた縹色をした木製の看板。店名の上にはポップな字体で「くさむらも どうくつも スイスイ!」と書かれている。何度も訪れたことがあるような錯覚に懐かしさを感じながら、入り口のガラス戸をカラカラと開く。

薄暗い店内には一昔前の時代を感じさせる自転車が数台綺麗に並べられており、奥のカウンターからサングラスをかけた怪しい男がこちらを見つめていた。

あの…アカシックレコードって……

おずおずと近づき話しかけると、店主はにやりと笑って口を開く。

かっこいい じてんしゃ あるけど かって いかない?

1000000円!

 

エリちゃんの家は大金持ちだった。

私がまだ幼稚園の年長だった頃、2歳年上の姉の級友にエリちゃんというお姫様みたいな女の子がいた。彼女はいつも高そうな洋服を着て、まるでお城のような大豪邸に住んでいて。私たちの住むオンボロ団地には近よりもしなかったが、それでも姉とは仲が良く、私と姉とエリちゃんの3人でよく公園で遊んでいたことを覚えている。

少しツリ目の整った顔立ち。白い肌。ウェーブがかった長い髪。立ち居振る舞いや話し方にもどこか品がある、絵に描いたようなお嬢様。そんなエリちゃんが一度、姉と喧嘩をしたことがあった。きっかけはくだらない、子供なら誰しもが通るであろう小さな嘘だ。

当時はポケモンアニメが放送され始めた時期ということもあり、世間は第一次ポケモンブームの真っ只中。私たち姉弟も例に漏れず、1台のゲームボーイで2人仲良くピカチュウバージョンをプレイして楽しんでいた。ストーリーは姉が、バトルやゲットは私が担当(と言ってもよくわからずにAボタンを連打するだけだったが)。周りの友達もみんな漏れなくゲームボーイ片手に公園でポケモンを楽しんでいた。

そんなポケモンブームの最中、私と姉はエリちゃんの豪邸にお呼ばれすることとなる。

エリちゃんは外でゲームをするなんて品のないことはしない。お嬢様だから。ゲームは家の中でするのだ。

エリちゃんの家は全部の床に絨毯が敷かれている。豪邸だから。大きな窓から差し込む陽射しにより家全体がほのかに明るく、甘い香りと随所に配置された不思議な置物が、そこが現実世界であることを忘れさせるような、そんな不思議な空間だった。アニメでしか見たことがないような白くてフワフワでフリフリのベッドのある部屋で、姉とエリちゃんがポケモンをやっている。そんな姿をぼんやり眺めていると、事件は起きた。

嘘だ!そんなの絶対無理に決まってる!

嘘じゃないもん!買ったんだもん!

つい先ほどまで和やかにゲームをしていた2人が、突然そんな声を上げた。しばらく言い争いをした後、姉は怒った表情のまま私を連れて豪邸を後にした。エリちゃんの見送りはなかった。

当時の姉の話を整理すると、こんな内容だった。初代ポケモンのハナダシティという町にはミラクル・サイクルという自転車屋があるのだが、そこの自転車は1000000円と普通にプレイしていてはまず購入出来ない高額設定になっている。その先の町で引換券をもらうことでようやく手に入れることが出来る代物なのだが、なんとエリちゃんは1000000円で購入したというのだ。さらに姉がタダでもらったということバカにまでしてきたので、姉も怒って、そんなの嘘だと口論になったそうだ。

当時の私はゲームのシステムもよく理解していなかったので、エリちゃんなら買えるだろう、なんて、そんな風に思っていた。だが、大人になった今ならわかる。エリちゃんの言葉は嘘だ。

お金稼ぎの手段に乏しい初代ポケモンだが、実は序盤で無限にお金を稼ぐ手段は存在する。それがハナダシティの下の草むらで出現するポケモンニャース”だ。ニャースだけが覚えることのできる技“ねこにこばん”を使えば、戦闘後にお金がもらえるので、それを活用すれば無限にお金を増やすことはできる。だが、初代ポケモンのお金の最大値は999999円。どう頑張っても1000000円を貯めることはシステム上不可能なのだ。

その後すぐに私たち姉弟は引っ越すことになったので、それ以来、エリちゃんに会うことはなかった。

なぜ、彼女はそんな嘘をついたのだろう。わざわざそんなくだらない嘘をつかなくたって、私たちは彼女のことが好きだったし純粋に憧れていたのだ。オンボロ団地に住む私たち姉弟にとって、子供ながらに気品ようなものを纏った彼女はまるで物語のお姫様のようで。そんな彼女と遊べることが何より嬉しかったのだ。

だからこそ、彼女はあんな嘘をついたのかもしれない、とも思う。お金持ちの子に生まれた彼女はきっと望む物はなんだって手に入ったに違いない。1000000円の自転車だって、私たちにとっては絶対に買えない代物かもしれないが、彼女にとっては何気ない日常の一コマのようなものだったのかもしれない。でも、買えない。ハナダの自転車は、買えないのだ。

かけがえのない冒険の日々。新しい町、新しい出会い。そんな中で出会った人々の優しさに触れた時、初めて手に入れることが出来る代物なのだ。たとえ一千万円だって一億円だって、そのかけがえのない体験の前には何の価値もないのだ。

彼女はきっとそれを認められなかったのだろう。お金なんて無くても純粋に冒険を楽しんでいた私たちを見て、悔しくなったのかもしれない。もしくは単純に、見栄を張りたかっただけなのかもしれない。

でも、買えない。ハナダの自転車は買えない。

 

いえ、結構です。

店主にそう返し、店を後にする。いつの間にか沈みかけていた太陽が街を夕焼け色に染めている。

ふと違和感に気づき視線をその先に向けると、店の前の段差に座り一心不乱にゲームボーイを弄る少女の姿があった。

青いシールが貼られたカセットの挿さったボロボロの色褪せたゲームボーイ

少しツリ目の整った顔立ち。白い肌。ウェーブがかった長い髪。

変わらない、懐かしい姿。しかしかつて彼女が纏っていた気品はもうそこにはない。25年ぶりに見た彼女は血走った目でゲームボーイの画面を覗き込み、そして虚な声で「嘘じゃない、買ったんだもん」と繰り返し呟いていた。

レベル100のニャースが“ねこにこばん”で野生ポケモンを倒す。戦闘が終わるとメニュー画面を開きお金を確認する。お金は999999円。「あと1円」。草むらを歩く。野生ポケモンが飛び出す。レベル100のニャースを繰り出す……永遠とその繰り返し。

まさか…あれからずっと…

私は彼女の手からそっとゲームボーイを抜き取り、レポートを書いて電源を切る。まだ小さな声で「嘘じゃない」と繰り返している彼女を抱き寄せ、わかってる、わかってるよと伝える。

ハナダの自転車は買えない。その残酷な真実を今さら伝えたところで、彼女のこの25年間に対して一体なんの救いになると言うのだ。

気晴らしに、すこし歩こうか

そう言って彼女の手を取り立たせる。すっかり身長も追い抜いてしまったが、物語のお姫様への憧れは変わらない。

ハナダの自転車は買えない。だったらなんだって言うんだ。きっとどこかに1000000円で買える自転車だってあるはずだ。それを見つけるまでのんびり歩いて旅すればいい。

 

アカシックレコード屋さんに行ってきた。

そこには世界の起源から今に至るまでの出来事が全て記されているらしい。

たしかに、あながち間違ってもいないかもしれないな。

 

ハナダの自転車は買えない、だけど、その旅路はかけがえのない冒険となるだろう。

嘘じゃないさ、きっと、これから!

そう言って私たちは、赤朽葉色に染まった空へ向かってゆっくりと歩き出した。