初恋DKアイランド
アカシックレコード屋さんに行ってきた。
そこには世界の起源から今に至るまでの出来事が全て記されているらしい。
平日の夜でもこの街は五月蝿い。いつ来ても変わり映えのない同じ景色、同じ匂い。目一杯のお洒落をして店の前に並ぶゾンビたち。その虚な瞳に映るネオンの光は、それらから永遠に夜を奪い、そして夜よりも深い闇の底へそれらを閉じ込める。人はそれらを魂の無い屍人だと言うが、それを言うなら俺たちにだって魂なんてものがあるかどうか。
ネオグーグルマップは未だ圏外のまま目的地を示さない。どこぞのバカがまたチャフを撒いたらしい。思考盗聴だのなんだの、いまだに頭にアルミホイルを巻いているようないかれた連中の仕業だ。さしもの19世代キングアップルウォッチの1.5mアンテナを持ってしても、アナログジャミングの力技には分が悪い。
ジャミングから逃げるようにネオン街を離れ、横道に入る。ギラギラとしたネオンライトから一転、か細い非常灯だけが頼りなく灯る裏路地へ。暗闇にようやく目が慣れ、崩れかけの雑居ビルの谷間に申し訳程度に光る満月が見えた時、ようやくネオグーグルマップのピンが動いた。
目的地はこの街では珍しく落書きの無い小綺麗な雑居ビル、その地下へ続く階段の先。看板どころか番地表札すら無い。テナントも入っている様子は無く、ただ世界に存在しているだけのビル。俺の視野範囲に入った瞬間に世界に生成されたのだと言われてもなんら疑うことはない街の風景の一部でしかないようなこのビルは、しかしこうして近くで見ると確かにこの街で俺の知らない時代から存在し続けていたのであろう風格のようなものも感じられた。
その地下へ続く階段の先からは時折、小気味良い音楽が漏れ聞こえていた。昔どこかで聞いたことのあるようなそのリズムが、自然と俺の足を地下へと進ませる。点滅する無機質な蛍光灯を2つ過ぎると、ダークグレーのいかにも重そうな扉が目の前に現れた。アカシックレコード。俺の求める世界の真実はこの先にあるのだろうか。
一度大きく深呼吸をし、そして扉を開く。途端に、先ほどまで重い扉の先に封じ込められていた音楽が鮮明に俺の耳に飛び込んできた。
D.K! DONKY KONG!
D.K! DONKY KONG IS HERE!
「モンキーラップじゃん。」
ドンキーコング64のオープニング、モンキーラップだった。
ヴィンテージな木製の床。スポットライトで照らされた部屋の中心部以外は深い闇に包まれており全貌は見えない。珍しい木製のDJブースからモンキーラップだけが延々と流れ続けている。
「ドンキーコング64のオープニングでコングたちが踊ってる場所じゃん。」
ドンキーコング64のオープニングでコングたちが踊ってる場所だった。たしかに俺はこの場所を知っている。だが、求めていたものとは違うかもしれない。
アカシックレコードなのだから、もっとこう、世界の始まりや生命の起源だとか、そういったものが、モノリスだとかロゼッタストーン的な物に記されていたりするものだと思っていた。
よりにもよって、ドンキーコング64のオープニングでコングたちが踊っている場所だなんて。
全身から力が抜けるのを感じ、自然と笑みが溢れた。なんだよまったく、世界の真理を覗く程度の覚悟はしてきたつもりではあったが。俺は床に胡座をかき、DKと描かれたタルに背中を預けた。
「しかしまぁ、懐かしくはあるよな」
しわくちゃの箱から湿気たアメリカンスピリットを一本取り出し、火をつける。深い闇の奥へ吸い込まれてゆく煙を見ながら、俺は遠い日へと思いを馳せる。
彼女はタイニーコングによく似ていた。
俺が彼女と過ごしたのは小学4年の頃。快活で聡明で、それでいて愛嬌もありよく笑う。そしてどこか気品も併せ持った、そんな素敵な子だった。
彼女とは、なぜか席が隣になることが多く、特に目立った記憶はないが、よく話し、よく笑った。恋愛なんてよく知らない俺たちは、いつだって一緒にいるただの友達で、それが当たり前だった。
音楽の授業があった日だったか、彼女が不意に口ずさんだJohn DenverのTake Me Home,Country Roads。その歌声をいまだに思い出すことがある。英語でも歌えるんだよ、なんて、そんなことを言って。
澄んだ歌声と完璧な英語の発音が子どもながらに美しいと思って、それまで隣にいた彼女がいきなり別世界の人になってしまったように思えて。小学4年のバカな俺はただ一言「変なの」としか言えなかった。そんな俺を見て彼女はいつもと同じように、目を細めて笑っていたと思う。
Country roads
Take me home to the place
I belong
West Virginia Mountain Mamma
Take me home country roads
ウェストバージニアとは程遠い兵庫の片田舎。橙色の陽射しが差し込む16時の松林。赤と黒のランドセルが小さく揺れていた。今となって思えばあれが俺の初恋だったのかもしれない。
ドンキーコング64は小学生の俺には些か難しかったらしい。仲間のコングを1人も助け出すことが出来ないままゲームを投げたあの日の俺は、気づけばそのまま大人になっていた。
「カントリーロード、テイクミーホーム」
口ずさんだ声はガラガラで、音程も発音もみっともなくて、乾いた情けない笑い声だけが静かに虚空へと消えてゆく。
……そう、静かだ。いつの間にかモンキーラップが聞こえなくなっている。一瞬、視界の端に黄色いおさげ髪が見えたような気がした。視線をそちらに向けると、先ほどまでDJブースが置かれていた場所に、懐かしいブラウン管テレビとNintendo64。そして、64の上部には見覚えのある黄色いラベルのカセットが挿されている。
今からでもまだ間に合うだろうか。
20年ぶりに握った64のコントローラーは、あの日に比べて少し小さく感じた。
中学に上がりクラスも離れ、少し成長した俺たちは特に何があったわけでもないが会うこともなくなった。それから先、彼女がどんな人生を送っているのかは知らない。ただ、きっと、素晴らしい人生を過ごしていることだろう。素敵な女性だ、良い相手と出逢い結婚していることだろう。子どもだっていてもおかしくない年齢だ。彼女は慈しみを持った良い母親になるだろう。俺みたいな人間が思うのはおこがましいことかもしれないが、ただ彼女には幸せであってほしい。長い人生のたった一年程度を共に過ごした友として、切に願う。
キングクルールなんてどうだっていい。DKアイランドが吹き飛ぼうが知ったこっちゃない。ただ俺は、あの日助けられなかったタイニーを、未だアステカンウインドの奥地に囚われ続けているタイニーを、救いたいだけだ。そしたら俺はもう一度前に進めるような、そんな気がするのだ。
アカシックレコード屋さんに行ってきた。
そこには世界の起源から今に至るまでの出来事が全て記されているらしい。
たしかに、あながち間違ってはいないのかもしれないな。
電源を入れると懐かしのレア社のロゴが現れ、そしてあの音楽が流れ出す。
D.K! DONKY KONG!
D.K! DONKY KONG IS HERE!
今夜の冒険は、少しばかり長くなりそうだ。